【ひとこと】 絶賛NEVERLANDロス中…。


2016年11月11日金曜日

「不謹慎」病の国、にっぽん。

昨日、米大統領選でトランプ氏が当選しました。

それに伴い、こんな内容のツイートが。
トランプ氏が当選したことで、世界の情勢が混沌とする上に、アメリカが日本を守らなくなるとなれば、戦争へまっしぐらだろう。
徴兵制が復活するかもしれない。自担が戦争に行ってほしくない人はRT。 
当該ツイートは、集中砲火に遭った模様で削除されているので、ざっくりこんな内容だった、という感じですが。

叩かれていたのは、最後の「自担が戦争に行ってほしくない人はRT」の部分。

主な意見としては、

「戦争となれば自担とか言ってる場合じゃないだろ」
「戦争になったら、という言葉を軽々しく使うな」
「自担以外にも心配する人が身近にいるのでは?」

というような内容でした。

これに、私個人的にはとても違和感を感じたので、ここに書くことにします。




【「自担が戦争に行ってほしくない」は、不謹慎か】

私の結論から言います。

不謹慎ではありません、これっぽっちも。

私は子供のころから平和教育を受けてきましたし、戦争は恐ろしいものだと、頭では理解しているつもりです。

ただ、具体的にイメージするのは難しいことです。
実際に戦争の現場を見たわけではないので。

戦争を知らない世代は、与えられる情報や知識から、想像することしかできません。

ただ逆に、想像することは、絶対に必要だと思うんです。

そんな想像をする上で、普段意識する「自担」という存在を挙げることが、悪いことだとは思いません。

現実の世界の登場人物(友人、教師、家族など)は、裏切ったり憎んだり、汚い部分も見える存在です。

しかし「自担」となると、基本的に美しいところばかり見ている存在です。
常に笑顔で、裏切りや憎しみとは無縁のところにある存在です。

そんな彼らが、人を殺し、命を危険に晒す場所に赴き、残された私たちからはエンターテイメントが奪われる。

それを恐怖と感じることは、現代を生きる人の反応として、自然なことだと思います。

当然に身近にあるものが奪われる恐怖を拒否する表明としての、「自担が戦争に行ってほしくない」なのではないでしょうか。

それが有無を言わさず否定されている現実の方が、私はぞっとしました。


【不謹慎の基準って?】

「戦争となれば自担とか言ってる場合じゃないだろ」
「戦争になったら、という言葉を軽々しく使うな」
「自担以外にも心配する人が身近にいるのでは?」

果たしてこの反論をした人たちが、どの程度戦争のことについて具体的に考えているのか。

確かに、主張としては間違っていないと思います。

しかし、有事の時に何を一番に考えるか、戦争という言葉の重みを何と秤にかけるか、誰を大切に思うかは、本来、個人の自由に委ねられるところではないでしょうか?

私は、阪神大震災の時、また関東大震災の時も、早い段階で「その地方でコンサートをしているジャニーズがいないか」を調べた人間です。

たまたまその地域に親戚や友人が住んでいなかったということもあるのかもしれませんが、一番に考えたのが「自担」のことでした。

災害や戦争というときに、たかがジャニーズのことを・・・と思う人もいるでしょう。
でも実は逆で、私にとってはジャニーズがそれだけの価値を持っていたんです。

ジャニーズだけではありません。
他人なら鼻で笑うようなものでも、大切に思うこと、大切に思うもの、誰にだってあると思うんです。

それが、自分だけの価値観であり、物事の重大さを自分の中で理解するときの、基準となるものではないでしょうか。


【他人の頭ではなく、自分の頭で考える習慣を】

反論をした人たちの中に共通する認識として、
  • 芸能人よりも家族や友人が大切な存在だ。
  • 戦争は難しい問題なので、簡単に口にしてはいけない。
  • 戦争の時に芸能のことを考える余裕はないはずだ。
といったものがあり、その一つ一つは一般的に大多数の人が思うことではあります。

しかし、それはあくまで大多数の意見であり、全員の意見ではありません。

全ての人が温かい家族に恵まれるわけではないし、信頼できる友人を持てるわけでもありません。

一人一人、基準とする「大切なもの」は違います。
戦争の重みを感じる基準は、それぞれに違って当然です。

「戦争になると、ご飯が食べられなくなる」
「戦争になると、自由に本が読めなくなる」
「戦争になると、お笑いが禁じられる」
「戦争になると、恋が自由にできない」
「戦争になると、仕事ができなくなる」
「戦争になると、絵が描けない」
「戦争になると、楽器が弾けない、歌が歌えない」

他人から鼻で笑われるようなことでも、想像した瞬間はっとするものがありませんか?

そのはっとするポイントは、一人一人違って当然だし、はっとした事実を口にすることは、悪いことではないはずです。

その言葉を見て、さらにはっとする人が出てくるかもしれないんですから。

その、はっとする感覚が大切で、誰かのそれを他人が攻撃する権利なんて、ないような気がします。

他人から受けた知識や意見なんて、実はどうでもいいのかもしれません。

それを受けて自分の頭で考え、実際に「怖い」と感じることが、本当の平和学習のゴールのような気がします。

今回の集中砲火の一件を見て、そんな本当のゴールに辿り着くチャンスを潰され、個々人の心で感じることを抑圧されてる気がして、そのことに恐怖を感じてしまいました。

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中には「ただのRT稼ぎでは?」という意見もありました。
確かにRTを促してしまう時点で、自己アピールとしての意味が皆無だとは言えないと思います。

しかしそれ以上に、あの手この手で彼女の価値観が潰されていくのが、本当に怖かった。

自担の心配して、何が悪い。
自担だって人間だ。友人や恋人の心配をするのと何が違う。

その反論の前に、あなたは本当に日常的なエンターテイメントが消えることを、ありありと想像しましたか?

ざっくりと「自担」と表現されたその人を、一人の人間として認識しましたか?

もしそうでなくて、どこかで聞いた意見や知識を丸呑みして反論したとしたら、それは危険かもしれない。
今後新しい知識として「必要な戦争というものがある」と言われたら、それも丸呑みする可能性があるからです。

見聞きしたものは、一度自分の中で噛み砕いてほしい。
嚙み砕いて、飲み込んで消化してみて、それでも絶対に間違ってると思うなら、言葉にすればいい。

それもせずに、それこそ軽々しく戦争を理解したような意見を吐くこと自体が、不謹慎だと私は思います。

やや強めの内容になってしまいましたが、地元で平和学習を受けてきて、いろんなことを感じて育った身として、とても違和感のある一件だったので、ここにまとめました。


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